祈りを始める時に「父と子と聖霊」、「栄光唱」を唱える時にも「父と子と聖霊」と、何度となく「三位一体」への信仰告白を行っています。
15年前のことですが、その当時、日本の社会の中で「三位一体」というと、たいていの人は「三位一体の改革」を思い起こしました。「①補助金見直し ②国から地方への税源の移譲 ③財政力の弱い自治体に充てる地方交付税の見直し」の3分野からなるもので、「三位一体」という表現が便利だということで、政府が使い始めたのではないでしょうか。このような使い方に似ているかもしれませんが、この三週間の典礼を見ていくと、「一致」の視点で共通するものを感じます。先週は聖霊降臨の主日で、弟子たちが聖霊の恵みを受け、種々の言葉で話すようになります。人々はその教えの内容が理解できたことが語られています。聖霊の恵みにより、どんな国民でもキリストとの一致が可能になったことを示します。今日は「三位一体の主日」ですので、「一致」の要素は十分に含まれています。また来週は「キリストの聖体」のお祝いで、私たちがキリストの体をいただき、キリストと一つに結ばれていく一致を考えることができます。このことから、この3週間は「三位一体」的とも言えます。
今日のみことばで「一致」をよりいっそう感じさせてくれるメッセージは「父が持っておられるものはすべて、わたしのもの」(ヨハネ16・15)です。「三位一体」という言葉は使われていなくても、御父と御子が密接に一つに結ばれていることを示す言葉です。また「その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」とあります。「その方(エケイーノス)」というのは、人格を示す用語です。ここでも三位一体という言葉は使われていませんが、その内容を示唆するものです。
三位一体のお祝いにあたり、私たちがどのようは「一致」を目指しているかをこの機会に見つめてみたいものです。