序)1981年2月、フィリピンで列福されたトマス西と十五殉教者は、1987年10月18日、バチカンの聖ペトロ広場で列聖された。日本二十六聖人が列聖されたのが1862年なので、125年ぶりとなる。これらの聖人たちは、ドミニコ会とゆかりの深い人たちである。
●ドミニコ会の活動
*1587年、ドミニコ会はフィリピンにロザリオ管区を設立し、マニラを拠点に宣教を開始した。ドミニコ会の日本での宣教活動は、1602年、鹿児島に始まる。数年後には、九州各地に広まり、京都や大阪にも修道院が建てられた。
*やがて、日本各地でキリスト教に対する迫害が激しくなった。1614年に追放令が出された後も、マニラとの交易船を利用して行われていたが、日本国内で大規模な殉教が行われ、1623年にはマニラとの交易が禁止されたので、宣教師の日本渡航が途切れかかった。それでも、ドミニコ会は、さまざまな方法で、しかも優秀な宣教師を送る努力を続けた。
*十六人の殉教者の中で、最後に殉教したロレンソ・ルイス(信徒)などは、アントニオ・ゴンザレス神父を責任者として、自前の船を造り、日本への密航を模索した。1637年に入国したが、その時点で逮捕され、厳しい拷問を受けて、棄教と情報提供を迫られた。拷問は水責め、指と爪の間に焼き串を差し込む責めなどが行われた。このころは、殺すことよりも、情報を密告させることに主眼が置かれていたため、拷問は延々と続けられた。
2 殉教者の国籍・身分
*十六殉教者は、ドミニコ会の司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たいちで、島原の乱の前後、徳川三代将軍・家光によるキリシタン迫害が厳しかった1633年~1637年で、長崎で殉教した方々である。
*殉教者の国籍は、日本人は9人、スペイン人は4人、イタリア人は1人、フランス人は1人、フィリピン人は一人で、特にフィリピン人の聖ロレンソ・ルイスはフィリピン最初の聖人である。
3 聖トマス西神父
*聖トマス神父は、1590年、平戸の生月に生まれた。この島の住民のほとんどがヴィレラ神父の宣教の影響でキリスト信者となった。トマス西の父ガスパル西は松浦鎮西(まつうらちんぜい)の重臣籠手田(こてだ)領の代官(ガスパル西)であったが、主君が信仰のために追放され、同時に代官職を追われ、1609年11月14日、藩主の棄教命令に従わなかったので、妻や長男と共に殉教した。その場所は、十字架が建てられ、墓があった。現在もその場所は、「クルス(十字架)の辻」(なまって黒瀬の辻)と呼ばれ、巡礼地となっている。
*トマス西は穏やかな人柄で、同宿(伝道師)として働き、多くの人々によい影響を与えていた。
*11歳の時、長崎のセミナリオに入り、1607年頃まで日本語の読み書き、ラテン語、日本文学を学んだ。その後、同宿として、教理研究、説教、祭儀の侍者、司祭不在の時には洗礼や葬儀も行った。1620年、マニラに渡り、「ドミニコ会」に入会し、1626年、日本人最初のドミニコ会司祭として叙階された。同級生には、ヤコブ朝永、ペトロ岐部などがいる。
*1629年、長崎に潜入し、棄教者への働きかけをして信者を集め、ミサをささげた、秘跡を授けたりした。共に宣教していたホルダン神父が過労で倒れ、その看病のため水ノ浦滞在中、逮捕され、長崎にひいていかれた。過酷な拷問にも教えを捨てず、1634年11月17日、西坂で穴づりの刑を受け、殉教した。彼は西坂に着いた時、地に口づけをして、信仰宣言を唱えたと言われる。享年44歳。
*彼の以外に、大村出身の聖ヤコブ朝長神父、最初の日本人女性として列聖の恵みを受けた聖マグダレナ修道女などがいる。