2001年5月4日~9日、教皇ヨハネ・パウロ二世は聖パウロの足跡を訪ねてアテネ、ダマスコ、マルタを訪問しました。日本の新聞にもこの訪問は取り上げられましたが、ほとんどの新聞は、「教皇が正教徒(ギリシア正教)に歴史的謝罪」と報じています。毎日新聞には、「『聖なる土地を汚す』との反発に配慮し、法王が初訪問地で行ってきた地面への口づけも中止された」と。確かに事実でしょうが、教皇はその当時、体力的にも地面に跪くことができないくらいの状態だったので無理な話です。そのため二人の子どもがお盆に盛られた土を持ってきて、教皇はそれにキスしています。内容的には地面にキスしたのと同様の意味合いです。
さて教皇は歴史的謝罪だけに終始したのでしょうか? 教皇は大統領官邸を訪問し、そこで「プラトン、アリストテレスなど、ギリシア哲学がキリスト教世界に影響を与え、ラファエルのようにアテネ学校が絵画の世界に多大な影響を与えていること、またオリンピックのマラソンなど、スポーツの面でも意義深いことを与えている国」であるとともに、ギリシア文化は、ヨーロッパ文化の橋渡しになるものであり、未来のための基盤になるものだと絶賛しています。その翌日、教皇はギリシア正教のクリスト・ドロス大主教を訪問しました。その中で、「過去において、また現在においても、カトリック教会の兄弟姉妹が、ギリシア正教の兄弟姉妹に対して行いと怠りによって罪を犯してしまいました。そのことに対して切に許しを請い求めます」と謙虚に語りました。まさに歴史的な和解の瞬間でした。最後の方で教皇は大主教に対して、ギリシア語で「『主の祈り』をいっしょに唱えましょう」と言って、宗教間の和解に努めました。
今日のみことばで、よい牧者であるイエスの話が登場します。教皇ヨハネ・パウロ二世の足跡を辿る時、よい牧者のモデルがよく見えてきます。