聖アンセルモ司教教会博士の記念日は、彼が帰天した日である4月21日です。
アンセルモは、1033年あるいは1034年に、北イタリアのアオスタで生まれました。幼少期のことは明らかではありませんが、1060年にはアオスタを去り、フランスのノルマンディー地方の町ベックにあったベネディクト会の修道院で生活を始めました。この修道院で教鞭をとっていたランフランコの名声に惹かれてのことだったのでしょうか。いずれにせよ、アンセルモはベックの修道院で祈りと勉学に励み、ランフランコが他の町の大修道院長に選ばれてからは、その後継者となりました。その後、1079年にベックで大修道院長に選ばれました。
それから少しさかのぼって1066年、ノルマン王国のウイリアム王はイギリスを制圧し、カンタベリーの大司教にランフランコを招きました。1090年にランフランコが亡くなると、アンセルモは1093年にその後継者に選ばれました。ところが、この時代のイギリス国王は、国内の司教や大修道院長の任命権が国王にあると主張し、ローマ教皇とのかかわりを制限しようとしました。アンセルモは、これに対して、教会内の任命権は教会に属すること、教皇とのかかわりは必要不可欠のものであることを主張し、国王と対立しました。このため、アンセルモは1097年に司教座を追われました。その後1100年、国王の死を機に司教座に戻ることができましたが、王位を継いだヘンリー2世が同じ政策を推進したため、1103年にアンセルモは再びイギリスを追われました。アンセルモがカンタベリーの司教座に戻ったのは1106年のことでした。その後、1109年にアンセルモは帰天しました。
聖アンセルモは、多くの著作を残した人で、その神学思想は後世に大きな影響を与えました。アンセルモは、人間の理解を超える神秘に対しても、徹底して知的思索と解明を試みようとしました。しかし、それは深い信仰から生じたものでした。アンセルモは、常に知的な神学的探求と信仰の成長、さらにはそれに基づくふさわしい生き方を模索してやみませんでした。しかも、信仰者個人としてだけではなく、教会や社会も神の計画を探求し、それに基づいて歩むべきであると考え、実際にそのように生きたのです。アンセルモが、国王とぶつかり、追放されてまでも、その考えを曲げなかったのは、それが深い思索と霊的歩みの末に出された結論だったからなのでしょう。
聖アンセルモ司教教会博士を荘厳に記念するミサでは、マタイ福音書7・21-29が朗読されます。この個所は、マタイ5~7章に置かれている「山上の説教」の結びにあたります。まず、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである」(7・21)と言われ、終末における裁きの様子がその説明として続いています(7・22-23)。その後に、「これらのわたしの言葉を聞き、それを実行する」「賢い人」と「これらのわたしの言葉を聞いても、それを実行しない」「愚かな人」とが、それぞれ「岩の上に家を建てた」人と「砂の上に家を建てた」人にたとえられています。7・28-29は、イエスの教えを耳にした人の群衆の驚きの様子が記されています。
岩の上に家を建てた人と、砂の上に家を建てた人との違いは、雨や大水や風、すなわち通常ではない、予測を超えるような災害に遭ったときに、堅固であるか、もろいかという点です。その違いが、イエスの教えを聞いた人の行いの有無に当てはめられています。どちらもイエスの教えを聞いているのです。しかし、行いにつながらないのであれば、それは教えの価値を理解していないことをさらけ出しているのです。イエスの教えに救いの価値を見いだす人は、それを実行しようとするはずだからです。聞くことと行うことが一体となっているかどうかが、救いに至る堅固さを生み出すのです。
しかし、そのうえで改めて7・21-23の教えを読み直してみると、興味深いことに気づかされます。一見すると、この個所は、「主よ、主よ」と言う者(すなわち、言うだけで行わない者)と神のみ旨を行う者とが対比されているように思えます。しかし、22-23節で、イエスから「わたしはお前たちをまったく知らない」と断罪されている人たちは、たしかに「主よ、主よ」と言ってはいますが、みな実際に行っている、しかもすばらしいことを実行しているのです。「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか」(7・22)。「預言すること」、「悪霊を追い出すこと」、「奇跡を行うこと」、どれをとってもすばらしい行いです。しかも、彼らはそれを「イエスの名によって」行っているのです。どうやら、ここで対比されているのは、言うだけで行わない人と言わなくても行う人ではないようです。もう一度21節に目を向けてみましょう。すると、ここで強調されているのは「天におられるわたしの父のみ旨」を行うという点であることが分かります。対比されているのは、ただ自分がすばらしいと思うことを行う人と神のみ心を行う人なのです。つまり、「主よ、主よ」と言っても神のみ心を探求しようとはせず、自分の考えに基づいて行動する人と、神のみ心を徹底的に追い求めて実行する人との対比なのです。どんなにすばらしいことであっても、どんなにイエスの名によって行っても、それが神のみ心でないのであれば、それは「悪を行う」(7・23)ことになり、わたしたちを救いへと導くものにはならないのです。
一方で、イエスの教えをしっかりと聞くだけでなく、聞いたことを生活の中で実行する者となることが必要です。しかし同時に、自分自身に向けられた神のみ心が何であるのか深く探求し、それをこそ生きていく必要があります。神とのかかわりにおいて、聞くこと、行うこと、深めることを一体的に調和させていくとき、救いにあずかる者となることができるのです。このような調和を追い求めて生きた聖アンセルモ司教の取り次ぎを願いたいと思います。