四旬節最後の主日(四旬節第五主日の次の日曜日)は、「受難の主日」または「枝の主日」と呼ばれます。典礼暦の表記では、「受難の主日(枝の主日)」となっており、イエスのエルサレム入城とイエスの受難・死とを同時に記念します。この2つの出来事は異なる日に起こったものですし、典礼暦の流れから言えば、本来はこの日に主のエルサレム入城を記念し、主の受難と死は聖金曜日に記念します。しかし、教会は主イエスの重要な神秘をすべての信徒が祝うことができるよう、なるべく日曜日に記念するよう配慮しています。そのため、この四旬節最後の主日に、主の受難と死をも記念するのです。それだけでなく、神秘の意味という点からも、イエスのエルサレム入城の出来事は、イエスが受難と死をとおして王・メシアとしての使命を実現することを暗示しています。教会は、この2つの出来事を同じ日に祝うことによって、その結びつきを強く意識するように招いているのでしょう。ただし、実質的には、通常のミサの入堂の部分にあたる「枝の式」を除き、典礼はすべて主の受難を記念するものになっています。典礼暦上の呼称が「受難の主日(枝の主日)」であって、「枝の主日(受難の主日)」でないのはそのためかもしれません。今回は、あえて「枝の主日」の神秘のほうに焦点を当てることにしましょう。
主のエルサレム入城の記念は、「盛儀の入堂」によって行われます。まず、枝を持った会衆の祝福がなされ、エルサレム入城の福音が朗読されます。その後、行列が行われた後、一同は聖堂に入堂します。行列と入堂のときに、会衆は、イエスを歓呼の叫びで迎えた人々にならって、賛美の歌(典礼聖歌315〜316)を歌います。行列をする場所がない場合は、聖堂の前で祝福と福音の朗読を行い、賛美の歌を歌いながら入堂します。入堂後、集会祈願が行われ、「言葉の典礼」へと続きます。その後は、受難の朗読を除き、通常のミサのとおりに進行します。
ところで、イエスがエルサレム入城のときに用いられた「枝」は、どの木の枝だったのでしょうか。行列や入堂のときに歌う典礼聖歌では「オリーブの枝」となっています。昔から、この日によく歌われてきたカトリック聖歌196では「しゅろの葉」となっています。日本の教会でよく用いられる枝は「そてつ」です。特に、行列や入堂のときは、「そてつ」の枝を持ちながら、「オリーブの枝を手に持って」とか、「オリーブの枝を振りかざし」と歌うのですから、違和感を覚えられる方も多いことでしょう。そこで、長くはなりますが、福音書の記述を見てみましょう。
福音書の記述は必ずしも一致していません。マタイ福音書では、「木の枝を切って道に敷いた」(21・8)とあり、どの木の枝か特定されていません。マルコ福音書では、「野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた」(11・8)とあります。ここでもどの木の枝か特定されていませんが、野原から切ってきたことと、葉の付いた枝であることが記されています。ルカ福音書にいたっては、木の枝に関する記述は見られません(19・36−40)。ところが、ヨハネ福音書では、「なつめやしの枝を持って迎えに出た」(12・13)とあります。ヨハネ福音書だけが「なつめやし」と記し、しかも道に敷いたのではなく、群衆が手に持っていたと記しています。この記述は、なつめやしなどの枝を手に持って行列が行われた仮庵の祭りと結びつけられているのかもしれません(レビ記23・40参照)。結論から言うと、福音書からは、人々がどの木の枝でイエスを迎えたのかは明確になりません。ただし、「なつめやし」がエルサレムには生息していなかったこと、この地方で一般的にオリーブが栽培されていたこと、また、この部分の記述が「オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき」という表現で始まっていることなどを考えると、オリーブの木の枝であったのかもしれません。
オリーブは、困難な環境の中にあっても力強く実りを生み出していくことから、聖書の中で平和や契約のシンボルとして用いられています(創世記8・11、士師記9・8移行など)。一方で、なつめやしは高木で、樹高15〜25メートルに及び、葉も長いものは3メートルに達し、寿命が100〜200年であることから、ギリシア・ローマ文化圏では、成功、勝利、そこから得られる賞、栄誉の象徴でした。キリスト教がギリシア・ローマ文化圏に広まっていく中で、オリーブよりもなつめやしのほうが広く用いられるようになり、道に敷くよりも手で持って行列することが一般的になっていったのかもしれません。ちなみに、日本の教会では「枝の主日」と呼んでいますが、欧米では「なつめやしの主日」です。
ところで、なつめやしは「ヤシ科」の植物ですが、日本にはもともと生息しておらず、「ヤシ科」の植物で知られていたものが「しゅろ」だったため、この語を「しゅろ」と訳しました(これは、聖書にかぎったことではありません)。カトリック聖歌で「しゅろの葉を手に持って」と歌われるのはこのためです。また、「そてつ」は、ソテツ科の低木で、分類上、「なつめやし」とはまったく異なる植物ですが、枝葉の形状が似ていることから、日本の教会で用いられるようになったのでしょう。いずれにしても、枝を手に持って行列・入堂することは、わたしたちがイエスの栄光と勝利をたたえ、王・メシアとしてこの方を受け入れ、喜び迎えることを表現しています。
さて、エルサレム入城を記した福音書の記述(マタイ21・1−11、マルコ11・1−10、ルカ19・28−40、ヨハネ12・12−16)は、枝に関するだけでなく、さまざまな点が福音書間で異なっています。しかし、大きく2つのことが強調されている点で共通しています。イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城されたこと、そして人々がイエスを歓呼の叫びで迎え入れたことです(歓呼の叫びには詩編118・25−26が用いられています)。
マタイ福音書とヨハネ福音書は、子ろばに乗って入城することの意味を説明するために、ゼカリヤ書9・9を引用しています(マタイ21・5、ヨハネ12・15)。この方は、来るべき方、王、メシアではあっても、「柔和な方」として来られ、王にふさわしい駿馬ではなく、荷を負うろばに乗って、しかも子ろばに乗って来られる方であるということです。初代教会は、このゼカリアの預言やイザヤ書に登場する「主の貧しいしもべ」(たとえば、この日の第一朗読イザヤ書50・4−7参照)と結びつけて、イエスを理解しました。イエスは、自らを低い者、卑しい者としてわたしたちの間に来られ、受難と死をとおしてわたしたちを救われる王なのです。
しかし、弟子たちをはじめ、イエスのエルサレム入城をたたえた人々は、その時点でこのように理解していたわけではありません。彼らは、イエスがさまざまな奇跡を行う「預言者」(マタイ21・11)であって、イスラエルの民を異邦人の支配から解放する者であると信じ、そのすばらしさをほめたたえたのです。ヨハネ福音書は、ゼカリアの預言を引用した後、「弟子たちは……イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した」と記しています(12・16)。弟子たちは、そのときには理解できなかったことを、イエスの受難と死、復活、そして聖霊降臨を経て理解したということです。
イエスはご自分を徹底的に低くされ、十字架上の死にいたるまでの辱めと暴行をお受けになりました。イエスが王であり、メシアであるとは、そういう意味なのです。しかし、このような王・メシアを受け入れることは、決してたやすいことではありません。わたしたちは、やはり低くあるよりも高くあることを望み、卑しめられるよりも認められることを願うからです。子ろばに乗った柔和な王イエスを認めてしまえば、当然、わたしたちもそうあることが求められるわけですが、それはできれば避けたいことなのです。無意識のうちに、わたしたちは人間的な栄光、勝利を思い描き、それをイエスに当てはめようとしてしまいます。
だからこそ、弟子たちが後で気づいたということは、わたしたちにとっても大きな慰めなのです。わたしたちも、霊の力に支えられて、イエスの十字架をあおぎ、見つめるとき、イエスの栄光の本当の意味、わたしたちにとっての救いの意味、それにふさわしい生き方を理解することができる、ということを証ししているからです。枝の主日の典礼の中で、枝を手に持って行列するとき、また祝福された枝を家に持ち帰り、この枝を見るたびに、わたしたちが信じているイエスがどのような方であるのかを心に刻み直すことができれば、と思います。