ステンドグラスの歴史は、ガラスや教会建築の歴史と、きわめて深い関連があります。ガラスは紀元前3000年頃に発明され、エジプト人やシュメール人、インダス河流域の人びとによって作られていました。紀元前1500年〜1100年頃、エジプトのガラス職人たちは、透明ガラスの製作方法を発見し、紀元前二世紀には、ガラス吹きの技術がシリアで始まりました。こういった技術がヨーロッパのローマ世界に導入されたのは、紀元前一世紀頃であろうと言われています。
紀元六世紀頃になると、聖グレゴリオはフランスのツールの聖マルチノ教会堂の窓に、現在のステンドグラスに近い色ガラスをはめさせました。七世紀には、修道院院長ベネディクト・ビスコップが、修道院付属教会堂のためにゴール地方出身のガラス職人を雇い入れています。この頃、窓の開口部は必ずしも全部を着色ガラスで満たしたわけではなく、ときにはアラバスター(雪花石膏)や大理石板などが木の板にはめ込まれる場合もありました。このように初期の窓においては、かなり多彩な用法であったことが分かります。
窓枠として鉛縁を用いたもっとも古い遺例は、北フランスのセリ・レ・メジェールで発見された小さなパネルで、おそらく九世紀頃のものです。またランスのサン・レミ聖堂の995年頃の記録には、窓にさまざまな物語が描かれていたことが記されています。北ヨーロッパでステンドグラスが聖堂の建築装飾として主導的な役割を果たすようになるのは、十二世紀以後のことです。
窓は、光を和らげたり減光する働きをもっていました。最適の光量を取り入れることが、教会堂と大聖堂の建築家の当然の目標となりました。ロマネスク様式(十一〜十二世紀)では、割と小さめの窓で、大きく発展するのはゴシック建築です。それは窓枠が広がっていくことからも分かります。教会堂ないし大聖堂の諸部分の平面上の配置から、ゴシックの尖塔アーチの発達によって、すばらしい垂直面の発展が可能になりました。そして大きな西正面入り口の上には、バラ窓が配置されたりもしました。
ステンドグラスが教会で使われた背景には、信者が聖書の内容や祝祭の意味を理解するのに役立てるためでもありました。
回答者=家庭の友編集室