今日のみことばには、シドン地方のサレプタにいる一人のやもめとシリアのナアマンの話が引き合いに出されます。二人の中でもナアマンにスポットを当ててみましょう。
ナアマンの話は列王記下5章に登場します。アラム王の軍司令官であったナアマンは主君に重んじられ、気に入れられていました。ところが高い地位にありながらも、重い皮膚病を患ってしまいます。彼はこの病気を治してもらうために、預言者であったエリシャの家の戸口の前まで行きます。するとエリシャの使いの者がナアマンに「ヨルダン川へ行って、七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、あなたは清くなります」(列下5・10)と語ります。エリシャ自身からの回答がなかったことに、ナアマンはとても憤慨しながら、「彼が自分で出てきて(中略)、患部の上で手を動かし、皮膚にかかっている部分を癒してくれる」(列下5・11)と思っていました。またナアマンにとっては、ヨルダン川よりもダマスコの川、アバナやパルペルが近いので、そちらの方がよいとも考えていました。ナアマンの家来たちは、「預言者が難しいことをするようにあなたに命じても、あなたはそれをなさったでしょう」(列下5・13)と彼をなだめていきます。こうしてナアマンは預言者のことばの通り、ヨルダン川に七度身を浸すと、彼の体は元通りになっていきました。異邦人であったナアマンが、預言者エリシャの指導に従って、信じる者に変わっていきます。
このエピソードで重要なことは、異邦人であったシリア人のナアマンが信じる者になったことと同時に、彼自身も偉い立場にはありながらも、最終的には謙虚に預言者エリシャのことばに耳を傾けていったことです。
私たちも低い態度で謙虚に、いろいろなことに耳を傾けていくと、たくさんの解決策が見えてくるのかもしれません。