「カナの婚礼」の場面を遭遇するたびに、ローマで失敗した説教のことを思い出します。
1994年4月からローマでイタリア語の勉強を始め、その年の10月からマスコミに関する勉強を2年間行いました。1995年の1月中旬頃、そろそろ日曜日の説教をイタリア語でしてみないかということになり、勇気をもって挑戦してみました。その日の福音は、カナの婚礼の箇所でした。ローマでの生活が1年もたっていないので、イタリア語も不十分でした。それで共同体の院長さん(イタリア人)に私が書いた説教をチェックしてもらうことにしました。すると赤文字の修正だらけで、私の目まで真っ赤になるくらい。それでも院長さんは根気強く私に付き合ってくれました。何とか説教ができあがり、とても安心。
さていよいよ本番の日。今日はいつもと違い、日本人の神父が司式をし、説教をするということで、みんな興味津々。みんなの視線を感じ、緊張が頭の中をよぎっていきました。前列には、女子パウロ会や師イエズス会のシスターたち、パウロ会のブラザーたちが陣取っている。説教を始めて、しばらくすると前列にいるシスターたちがクスクス笑い始めました。他の人たちも同様に…。でも私は書いた説教を読むのに必死で、笑われていることに全く気づきませんでした。説教も終わり、ほっと一息。ミサが終わって、香部屋に入ったら、一人の司祭が「今日の説教は素晴らしかった。今までに聞いたことがない話だ」と。みんなもニコニコ…。
そんな中、院長さんだけが苦笑していました。すると「説教の原稿を見せてくれないか」と。院長さんは「あー、確かに…」と一言。実は、私は説教の中で、「イエスはガリラヤのカナで、ぶどう酒を水に変えた」と言ってしまったのです。聖書の内容とは正反対のことを…。その後、朝食の時はとても話題になりました。一人のブラザーが、「今日の説教は素晴らしかった。ブラボー! 確かにイタリアでは水の値段が高いので、ぶどう酒を水に変えてもいいね」と。何とも寛大なことだろうか…。
私にとって、この箇所が出てくるたびに、失敗とともに、心優しいイタリアの会員たちの笑顔が浮かんできます。