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信心のすすめ

煉獄(罰)──信心のすすめ(22)

 「その罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである。彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ、彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、その倍も注いでやれ。彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」(黙示禄18,5-8)

Ⅰ 煉獄は、一時的に、霊魂が神を仰ぎ見られないところであります。肉体から離れた霊魂ははげしい唯一ののぞみ、すなわち、神をながめたいという強いのぞみにかられます。他の何ものも彼を魅惑しませんし、何の価値もありません。神は霊魂にご自分をかくされ、霊魂から遠ざかり、ご自分自身で霊魂をほっておかれるのです。それはあたかも、天父を見たいとのぞむ息子、神のパンのみによってみたされることに飢えている息子、神への熱烈なかわきに苦しんでいる息子のようなものであります。しかし、みたされることはできません。彼はすぐにも至福に導き入れられた多くの霊魂を天国にながめます。また罪をもちながら、その生活において罰をゆるされた他の霊魂たちをもながめます。さらに、友人や両親、恩人たちの大切な霊魂たちをながめます。遠くから、天使たちや聖人、童貞マリアたちが大きな祝いにひたっているのもながめます……。その霊魂は、祝宴に入れないのです。その人の衣服はまだいくらか汚れています。救いは確実です。そして彼は、すべての神のみ旨に委ねています。しかし、非常に苦しい殉教をしのいでいるのです。

Ⅱ ある教会博士たちは、煉獄の最小の苦しみは、地上のもっともはげしい苦しみにまさるものである、と言っています。私たちは、人間の忘恩、不確実、訣別、恐れ……などを前にして人間の心の多くの苦悩、苦痛、苦しみを考えてみましょう。しかし、煉獄は、はるかに苦しみにみちています。私たちは、獄中や死刑台や十字架の上で息を引き取った殉教者たちのことを考えましょう。もしくは、おぼれ、生きながらにしてほうむられ、首をはねられた人たちのことや、おおかみやライオン……などにひきさかれてなくなった人たちのことを考えてみましょう。これらすべてのことも、煉獄には比べものになりません。非常にはげしい、そしてつきさすような火の苦しみをも考えてみましょう。煉獄にいる霊魂たちは、この地上で、軽いつぐないをもって、これらすべての煉獄の苦しみからのがれられたと考えているのです。そして怠惰のためにそれをしなかったと考えるのです。彼らは、あがないの祈りによって、他の人たちを煉獄から解放することも、また、免償を獲得してあげる配慮もしませんでしたし、しかも今は、自分自身を解放することもできないのです。これらすべてのことは、不満であり、公開であり、言うべからざる悲しみのもとになっているのです。

Ⅲ 栄光の王なる主イエス・キリストよ、すべての死せる信者の霊魂を煉獄と深い淵から救ってください。また、それらの霊魂をししの口から救ってください。そして、悪魔が、霊魂をほろぼすことなく、また、暗の中におちいらないようにしてください。そして、むしろ大天使ミカエルをつかわして、かつて、アブラハムとその子孫に約束なさったその光りに導き入れてください。主よ、ホスチアと祈りをおん身にささげます。今日、私たちが記念する人々の霊魂を受け入れてください。おお主よ、それらの霊魂には、かつて、アブラハムとその子孫に約束なさった死から生命を移らせてください。

・糾明───煉獄の霊魂に対して、敬虔で、感受性にみち、あわれみの心を持っているだろうか。それらの霊魂のため、毎日、毎週、そして毎年、どのようなつぐないをささげているだろうか。

・決心───毎夕、少なくとも『デ・プロフンディス』をとなえよう。毎日、数回、『レクィエム』の祈りをとなえよう。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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