序)秘跡について
7つの秘跡がある。秘跡はイエス・キリストの制定によるもの。
一生に一度しか受けられないのは、洗礼、堅信、叙階。
秘跡が7つになったのは、1145年のことで、アンブロジオ(339~397年)の時代には、洗礼、堅信、聖体。ニッサのグレゴリオ(332~394)の時代には、洗礼、堅信、聖体、叙階の4つ。ヨハネ・クリゾストモ(354~407年)の時代には、洗礼、堅信、聖体、ゆるしの秘跡。
• 洗礼とは?
洗礼とは、人が神の子として新たに生まれ、教会の一員となる秘跡。
「洗礼」は、ギリシア語の「バプチーゾ」から派生し、「浸透する」「洗う」「沐浴する」といった意味。
水に浸し、洗い清めること。
*水の意味
①命の源
➁死をもたらす(洪水、おぼれる)
③清める(洗い清める)
*洗礼は聖霊の洗いによって新しく生まれ変わり、新しいいのちを授かる。
• 洗礼を授ける人
教会の文書の中に、こんな箇所。
「(洗礼を授ける時)必要な場合には司祭や助祭だけでなく、男子信徒も婦人も、未信者も異端者も洗礼を授けることができる。ただし、教会の定式を守り、教会が行うことを行うという意向がなければならない。」(DS1315番)
洗礼を授けるのは、一般に司教、司祭、助祭であるが、緊急の場合にはだれでも授けることができる。
*洗礼を授ける時
授ける人は、受ける人の額に水を三回注ぎながら「〇〇〇〇、私は父と子と聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます」と唱えることによって行われる。
*臨終の洗礼
(例)
60代の人で、植物人間のようになった。よく知っている人。洗礼を頼まれ、病院へ行った。ほとんど反応はなかったけれど、洗礼を授け終わったあと、その人の目から涙が出ていました。見た目は反応しないけれど、分かっていたんだなあと思いました。
それから5~6時間して、その方は安らかに息を引き取りました。
*幼児洗礼
ある時に濱尾枢機卿様が講演をし、一人の方が幼児洗礼について質問なさった。
子どもが大きくなって、自分で判断できるようになってから洗礼を受けさせたほうがよいのではないかと。
すると濱尾枢機卿様は、親は自分の子どものためによいものだけを与えようとします。決して悪いものは与えない。栄養になるもの、成長のために欠かせないもの。
それと同じように、親が「洗礼は大切なもので、人生に必要なものだ」と思えば授けた方がよい。親の判断は大きい。「洗礼は素晴らしいもの」と思えば、幼児の時に洗礼を授けたほうがよい。