序)聖体を目で見て(変化していないように感じる。でもキリストの体と血)
1) 聖体とは
聖体とは、救いのいけにえであるイエス・キリストの御体と御血とが、パンとブドウ酒の形態のもとに神にささげられ、永遠のいのちの糧となる秘跡。
司祭がミサの時、「これは私の体である」「これは私の血である」と唱え、キリストの御体と御血になる。この時、司祭はキリストの代理者となる。特に「これは私の」という言葉に大きな意味がある。この言葉を唱える時、私自身、いつも重々しさを感じる。キリストの役割を果たしている。
*旧約聖書の背景
過越祭:雄羊を選び、その血を入口の柱に塗り、食べる。神が通り過ぎていく。過ぎ越しの小羊は、十字架上のキリストの前表。
エジプト脱出:天から真のパン(マナ)が降る。出16・4.みことばの前表。
旧約では羊や牛など、動物がいけにえとしてささげられるが、新約ではイエス自身が十字架のいけにえとしてささげられる。
*制定
イエス・キリストは、ご受難の前、最後の晩餐の時に、パンをとって感謝し、弟子たちに与えて、「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである」と言われ、次に杯をとって感謝し、弟子たちに与えて、「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい」と仰せられ、聖体の秘跡をお定めになった。
この制定の箇所は、マタイ、マルコ、ルカ、一コリントの中に出てくる。
*イエスはこの制定以前に、すでに聖体の秘跡を約束しておられた。
「わたしは天から降ってきた、生けるパンである。このパンを食べる人は永遠に生きる。しかも、わたしが与えるパンは、この世にいのちを与えるためのわたしの肉である。」(ヨハネ6・51)
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は永遠のいのちを得、わたしはその人の終わりの日に復活させる。」(ヨハネ6・54)
2) キリストの意図
イエス・キリストが聖体をお定めになったのは、ミサにおいて新約のいけにえの奉献が、世の終わりまで教会の中で記念され、再現され、永続され、信者が永遠のいのちの糧で養われるためである。
3) キリストの現存
キリストの制定のことばにしたがって、パンとぶどう酒はキリストの御からだと御血に変化します。「聖変化」という言葉が使われました。パンとぶどう酒のそれぞれどちらの形態のもとにも、キリストは同様に現存していいます。これは神の働きによるもので、人間の理性を越え、信仰の神秘です。
4)4つのポイント
聖体は
①慈しみの秘跡
②一致のしるし
③愛のきずな
④復活の祝宴