パウロはどうしてあそこまで必死に福音を宣べ伝えたのか
聖パウロは、必死になってキリストの福音を宣べ伝えました。一人でも多くの人に宣べ伝えようと、各地を回り続けました。福音を告げ、洗礼を授け、教会を設立し……。しかし、それで終わりではなく、その後も各地のキリスト者のことを心にかけ、再び教会を訪れたり、手紙を書いたりしてかかわりを続けました。宣教の旅をしながら、ある時は牢獄に入れられる中での活動です。パウロの生活は困難と多忙を極めただろうと思います。
実際に、パウロの福音宣教は決して順風満帆ではありませんでした。手紙の中で、パウロは自分が体験した苦しみについて書き始めると止まらなくなるくらい、大変なものだったことが想像できます。そのような中でも、パウロは福音宣教をやめませんでした。いったい、どうしてパウロはそこまで必死に福音を宣べ伝えたのでしょうか。
パウロは言います。「わたしが福音を宣べ伝えても、誇りにはなりません。そうしないではいられないからです。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしにとって災いです」(一コリント9・16)。もちろん、パウロ自身が福音を信じ、一人でも多くの人に宣べ伝えたいと望んでいたことは確かでしょう。しかし、パウロの福音宣教の根源は、自分がそれをしたいというよりは、もっと何か別のものに突き動かされていたことにあるのだ。パウロはそう言いたいのです。それが、「福音を宣べ伝え……ないではいられない」という言葉に込められたパウロの思いなのでしょう。「わたしはキリスト・イエスに捕らえられたのです」(フィリピ3・12)。「キリストの愛がわたしたちを虜にしている」(二コリント5・14、新共同訳では「キリストの愛がわたしたちを駆り立てている」)のです。パウロも人間ですから、くじけそうになることもあったと思うのです。しかし、パウロを捕らえ、パウロの中に生きておられるキリストが、パウロを突き動かしてやまない。パウロが立ち止まろうとしても、キリストが内側から突き動かす大きな力に圧倒されて、福音を宣べ続けないではいられない。それが、パウロの福音宣教だったのです。
しかし、それは自分を恵みで満たし、自分の中に入ってきて、生きてくださるキリストとのかかわりを深め、その「駆り立て」を敏感に感じ取るようになった者だけが生きることのできる、苦しくも喜びに満ちた道なのでしょう。わたしたちは、自分の中に生きておられるキリストとのかかわりを十分にはぐくんではいません。だから、パウロが抗うことのできないと感じた力強いキリストの駆り立てを、感じることすら難しいのでしょう。
福者ヤコブ・アルベリオーネ神父帰天50周年
先月も述べたことですが、今年2021年11月26日は、聖パウロ修道会、そしてパウロ家族の創立者、福者ヤコブ・アルベリオーネ神父の帰天50周年にあたります。アルベリオーネ神父は、神から壮大な使命をゆだねられたと感じ、聖パウロ修道会をはじめとして10の会を創立しました。男子修道会が一つ、女子修道会が4つ、在俗的奉献生活の会が4つ、そして協力者会です。すべてが、道・真理・いのちである師イエス・キリストを全面的に生き、この方をすべての人に全面的に伝え、すべての人が全面的に生きるようになることを使命として、それぞれの特徴を持っています。
しかし、パウロの歩みが順風満帆でなかったように、アルベリオーネ神父の歩みも順風満帆ではなく、最初から多くの困難にぶつかりました。それでも、アルベリオーネ神父は創立の歩みを続け、世界各地へ宣教師を派遣していきました。
その歩みをあらためて見つめながら、「自分がその立場に立っていたら」と考えると、率直に言って自分だったらこうはならなかったと思うのです。まず、神の呼びかけを聞き分けることができていないでしょうし、さまざまな困難の中で確信をもってそれを実践し続けることはできなかったでしょう。仮に、それができていたとしても、途中で「主よ、これ以上は無理です」と言って、立ち止まってしまったことでしょう。そして、それを「現実」を踏まえたうえでの「賢明な」判断と考えたことでしょう。
しかし、アルベリオーネ神父も、パウロと同じように、イエス・キリストの駆り立てを感じていたのだと思います。そして、このキリストの力に抗うことができなかったのでしょう。だから、神の呼びかけにしたがって、そのみ心を果たし続けないではいられなかったのです。それはアルベリオーネ神父に限ったことではありません。教会の歩みは、キリストの駆り立てを感じ、キリストに突き動かされて歩んだ聖人たちに満ちています。アルベリオーネ神父帰天50周年にあたって、教会がキリストの駆り立てをより敏感に感じ、これに身をゆだねる恵みを願い求めたいと思います。