序)種々の十字架
教会を探す時のシンボルは十字架。地図の上でも、十字架があると教会と感じる。
街の中で、十字架を身につけている人も見かける。一つのアクセサリー。
女子の修道会で、シスターたちが十字架を身につけている。その十字架は修道会のカリスマと結びついている。販売されていないが、それを買い求めたがる人もいる。(どこに売っていますか?)
1 十字架の意味
イエス・キリストは十字架につけられて死んだ。贖いの道具として使われた十字架は、死、苦しみ、血をイメージするとともに、人類に救いの希望をもたらすものである。つまり、十字架は恥辱を意味するものではなく、栄光の称号ともなっている。
2 十字架は躓きのシンボル
パウロの言葉に、「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるが、それはユダヤ人にとっては、躓きであり、異邦人にとっては愚かなものである。」(一コリ1・23)
十字架は奴隷に課せられたものであり、残酷だけではなく、恥辱をも意味する。
事実、ユダヤ人に対しては、受刑者が神の呪いのしるしを身に負って木につるされ、汚れたものとされていた。「木につるされたものは呪われたものである」(申21・22~23)
十字架刑は極刑であった。
ゴルゴタで十字架のもとに居合わせた人々は、イエスを嘲笑する絶好の機会を得て、「十字架から降りよ」(マタ27・39~44)と言い放つ。
3 十字架は救いのしるし(パウロ)
パウロの言葉の中に、十字架の意味が豊かにある。
「十字架の教えは、滅びてしまう者にとっては愚かしいことですが、救いの道を歩いている私たちにとっては、神の力です。」(一コリ・1・18)
「ユダヤ人であれギリシア人であれ、召された者にとっては、神の力、神の知恵であるキリストなのです。神の愚かさは人間より賢く、神の弱さは人間よりも強いからです。」(一コリ1・24)
「わたしはあなた方の間では、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたこの方以外のことは何も知るまいと決心したからです。」(一コリ2・2)
フィリピ書はよく表現している。
「死に至るまで、十字架の死に至るまで、へりくだって従う者となられました。」(フィリ2・8)
「私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに誇りとするものが断じてあってはなりません。キリストの十字架によって、世は私に対して十字架につけられ、私も世に対して十字架につけられているのです。」(ガラ6・14)
4 十字架の歩み
十字架刑は、ローマ帝国の処刑方法の一つだったといわれる。斬首刑よりも重いもの。
4世紀、迫害が解け、教会に平和が訪れると、勝利と救いのしるしとして、十字架が使われる。
キリストの受難と死、贖いのしるしであった十字架は、まさに神の力、救いの勝利、復活の栄光であり、信じる者にとっての希望、喜びのシンボルとなる。
7~8世紀ごろになると、受難のキリスト像が描かれるようになる。ローマを中心とした西方教会に見られ、中世になるとよりリアルな受難、死のキリスト像へと発展していく。本来の復活の勝利、神の力を映す十字架像は影が薄くなった。
第二バチカン公会議以降、典礼刷新と並行して古代の十字架像が再び脚光を浴び、復活像、王であるキリスト像などが使われるようになった。受難と死のキリスト像も並行して使われる。
5 十字架の形
ラテン式十字架(両腕を横に広げて立つ人型、受難の象徴)
ギリシア式十字架(縦と横がその中心で交差する正方形、栄光・勝利の表徴)
コプト(エジプト)式十字架(アルファベットのT字形、受難の表徴)
6 十字架のしるし
東方正教会では、「十字架のしるし」をする時、額から胸、そして右肩から左肩へと動かす。13世紀まで、西方教会(カトリック教会)もこの形で十字架のしるしをしていた。
現在のように左肩から右肩へと変わったのは、14世紀以降と言われる。
もともと父と子と聖霊の三位一体の神への信仰告白として、この習慣が生まれた。そのため、東方正教会では、右手の親指と人差し指と中指の三本の指を合わせて、この動作をする。
聖セシリアの殉教像もこの形式。
7 福音の朗読の時
助祭あるいは司祭は、親指でまず福音書に十字架のしるしをする。そして、福音書に触れたその親指で、自分の額、口、胸に小さな十字架のしるしをする。このしるしには、キリストのことば(福音)を、私たちが知性(額)をもってよく理解し、口で人々に宣べ伝え、心(胸)に刻んで生きることができるようにという意味が込められている。ローマ典礼では、9世紀ごろから始まったといわれる。