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カトリック入門

「カトリック入門」 第40回 聖母の被昇天【動画で学ぶ】

序)聖母マリアの呼称

 神の母、聖母の被昇天、無原罪の聖母マリア

1)聖母の被昇天とは?

 聖書の中に、マリアの人生の終わりについては何も記されていない。でもキリスト者たちはマリアの魂は神のもとで幸せに生きていると考え、3世紀からマリアの取次ぎを祈り求めていた。
 5世紀を過ぎたころから、マリアの死後、その体が腐敗しなかったことが強調され、ある物語には、マリアの体は天に上げられたとも書かれている。これはイコンに影響を及ぼすようになった。
 7世紀の初めから、東方教会で8月15日にマリアが死の眠りについたことを記念する祝日が祝われるようになった。やがてこれはマリアが天に上げられたことも意味する祝日と呼ばれるようになった。
 8世紀の神学者たちは、イエスを生んだマリアの体が墓の中で腐敗するのはふさわしくないとして、その体は神によって天に上げられ、生かされたと説いた。
 西方教会ではマリアが死の眠りについたことを記念する祝日は「ドルミティオ」と呼ばれ、7世紀末から祝われるようになり、8~9世紀には「アスンプティオ(昇天)」の祝日と呼ばれるようになった。
 中世期になり、西方教会では、マリアの身体的な被昇天に関して賛否両論があった。
 16世紀になると、マリアが霊肉共に天に上げられたという信仰は、西方教会でも一般に認められるようになり、8月15日はマリアの祝日となった。教皇ピオ5世によると、「教会の祈り」の際、その日の朗読箇所は、被昇天を肯定するものに変えられた。ただこの時代は、マリアの被昇天は、すべての信者が信じるべき教義ではなく、「敬虔な説」であった。
 19世紀から20世紀にかけて、マリア信心の波に乗ってマリアの被昇天を教義として宣言することを要請する多くの嘆願書が歴代の教皇に提出された。ピオ12世教皇は、教義宣言に踏み切り、1946年全司教に意見を求め、圧倒的多数の賛成を得て、1950年11月1日の教令で、「マリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光に上げられたことは、神によって啓示された真理である」と宣言した。この宣言に「死んだ」という表現ではなく、「地上の生活を終わった後」という表現が用いられたのは、マリアが死なずに神によって天の栄光に上げられたとする一部の神学者の説があるからである。教皇はこの説に関して、肯定も否定も避けた。

2)二つの教会

 聖母の被昇天という時、「マリアの永眠」という表現も使ったりする。
 「マリアの永眠」にささげられた教会としては、エルサレムとエフェソにある。どちらとも、きれいな教会。

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