序)洗礼者ヨハネは?
彼は旧約と新約の橋渡し。
イエス自身、洗礼者ヨハネは預言者にまさるものであると証言する。(マタ11・9、ルカ7・26)
福音の宣布は、主イエスに先立って遣わされた洗礼者ヨハネから始まる。
「律法と預言者とはヨハネの時までであり、それ以来、神の国が宣べ伝えられている」(ルカ16・16)
洗礼者ヨハネは比類のない預言者として、主の道を準備し、主イエスの先駆者(使徒13・24~25)、証人となる。(ヨハネ1・6~7)
1)主イエスの先駆者
洗礼者ヨハネは、うまずめであったエリサベトの胎内で誕生に先立ってすでに神に聖別され、聖霊に満たされている(ルカ1・7,15)
荒れ野で生活し、風貌は厳格な生活をし、第二のエリアとして旧約の預言者をほうふつとさせる。宣教開始にあたっては、断食と祈りを教える(マルコ2・18)
彼の力強い声は、ユダヤ全土を揺り動かし、悔い改めを説き、そのしるしとして罪を告白し、洗礼をうけること、さらに生活の刷新に務めることを要求する。(マルコ1・4~5)
しかし、ファリサイ派や律法学者たちは、洗礼者ヨハネを信ぜず(マタ21・25、32)、なかには彼を悪魔つきとみなす者も出てくる(マタ11・18)
それに対して、洗礼者ヨハネは、自分のもとに来る人たちに向かって、実を結ばない木は神の怒りにふれてことごとく焼き尽くされる。(マタ3・10、ルカ3・9)
さらにヘロデ王の姦通を非難したかどで投獄され、そして殺される(マタ14・3~13)。
彼は神の義への熱意のゆえに、メシアの来臨に民の心を準備させる民衆待望の第二のエリアと言われるにふさわしい人(マタ11・14)。
洗礼者ヨハネの殉教は、イエスの受難を前表のかたちで告知している。(マタ17・10~13)
2)光の証人
洗礼者ヨハネは、自分は単にメシアの先駆者にすぎないと宣言すること、ここに彼が行った第一の証がある。
民衆は洗礼者ヨハネこそメシアではないかとひそかに考えていた。
洗礼者ヨハネは、「わたしの後からおいでになる方は私よりも力のある方であり、私は身をかがめてその方の履物の紐を解く値打ちさえない」(マルコ1・7)と語る。
彼が指摘するように、イエスは自分よりもあとからきて聖霊と火で洗礼を授ける方。
イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたとき、聖霊がイエスの上にくだっている。(ヨハネ1・31~34)
洗礼者ヨハネは、キリストの真の友としてその来臨に対する喜びにあふれ、彼の前で姿を消す一方、自分の弟子に向かっても彼に従うように勧めている。(ヨハ1・35~37)
イエスのほうは洗礼者ヨハネに対して、燃えて輝くともしびとか女から生まれた者の中で最も偉大な最も偉大な人物(マタ11・11)
自分について証をした人をたたえている。神の国で一番小さい者でもかれよりも偉大である。
<洗礼者ヨハネについての記述>
「神から遣わされた人がいた。その名はヨハネである。この人は証のために来た。光について証をし、彼によってすべての人が信じるようになるためである。彼は光ではなかった。しかし、光について証をするために来た。」(ヨハネ1・6~7)