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ご存知ですか? 11月9日はラテラン教会の献堂の祝日です

 ラテラン教会、すなわちローマのラテランにあるヨハネ教会はローマ教区の司教座聖堂であり、すべての教会堂の母教会と見なされています。このため、全教会が11月9日にこの教会の献堂記念日を祝い、ローマ教区およびその司教である教皇との交わりを確認するのです。

 ラテラン教会は、4世紀に建てられました。コンスタンチヌス皇帝が、ローマ帝国内でキリスト教を信じる自由を認め、土地を教会に寄付し、その上にラテラン教会が建てられたのです。それまでの教会は「家の教会」と呼ばれ、集会と主の晩さんの記念をおこなうために、おもにキリスト信者の個人宅が使われていました。また、使徒たちの葬られた墓のもとに集まって、祈りをささげることもありました。

 さて、信仰の自由が認められた教会は、教会堂を建立するにあたって、どのような建物が自分たちの信仰にふさわしいかを考えました。そして、当時、「バジリカ」と呼ばれていた、中に何もない広大な空洞の建物を教会堂とすることにしたのです。「バジリカ」とは、屋根で覆われた広場のことで、ホールのようなものです。当時の市民にとって、広場は議論をしたり、商取引をしたりする大切な場でした。しかし、雨が降ると野外の広場でこれらの活動をおこなうことは困難でした。そこで、屋根付き広場ともいうべきバジリカを造ったのです。

 ほかの宗教はどれも、神を祀る神殿を有していました。神殿は、聖なる建物で、祭司や神官といった特別な人だけがそこに入ることをゆるされ、儀式の間、群衆は神殿前の広場にいて、儀式が終わるのを待っていました(たとえば、ルカ1・8-10、21-22参照)。キリスト者は、このような「神殿」が自分たちの礼拝堂としてはふさわしくないことを理解しました。今や、神であるキリストが人となられました。そして、キリストの過越の神秘をとおして、神である方、聖霊が、キリストを信じて洗礼を受ける者の中に注がれました。今や、キリスト者こそが「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」(一コリント6・19)なのです。群衆は、儀式の傍観者ではなく、神の住まいそのものです。だから、キリスト者全員が集うことのできる建物こそが教会堂としてふさわしく感じられたのです。形として「バジリカ」が用いられたのはこのためです。

 ところで、ラテラン教会は司教座聖堂です。ローマの司教である教皇も、このラテランに住んでいました。しかし、教皇がフランスのアヴィニョンに移り住んでいた間に、ローマで大火事が起きました。こうした経緯もあって、教皇はローマに戻った14世紀以降、バチカンに住むようになりました。

 さて、ラテラン教会の献堂の祝日には、ヨハネ福音書2・13-22が朗読されます。この個所で、イエスは、神殿の境内で商売をしている人々を追い出そうとされます。そこで、ユダヤ人たちは、イエスにこうした行為を正当化できるような「しるし」を求めます。イエスは、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(2・19)と宣言なさいます。ユダヤ人たちは、この言葉の意味を理解できず、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」(2・20)と反論します。ヨハネ福音書は、この出来事について、「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(2・21)と説明し、また後に「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」(2・22)ことを伝えています。

 もはや人間が造った建物が神殿なのではなく、真の神であり、真の人であるイエス・キリストこそが、父である神の宿ってくださる神殿です。だから、神の言葉を聞くために、神と出会うために、神を礼拝するために、人はイエスのもとに向かい、イエスに耳を傾け、イエスを信じ、イエスに従わなければなりません。「わたし(=イエス)を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(14・6)のです。逆に、「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる」(14・7)のです。「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(1・17)のであって、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」(1・16)のです。今こそ、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時」(4・23)なのです。

 しかも、御父は、イエスの名によって、弁護者である真理の霊をわたしたちに遣わしてくださいます。この霊は、わたしたちと共におられ、わたしたちのうちにいてくださいます(14・16-17)。だから、「かの日には、わたし(=イエス)が父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいる」(14・20)ようになります。御父とイエスの間にある深いかかわりが、聖霊によって、イエスとわたしたちの間にまで広げられ、わたしたちもイエスをとおして御父の神殿となることができるのです(これは、わたしたちの場合、無償の恵みとして、洗礼の秘跡の中で実現します)。

 わたしたちにとって、教会堂とは、キリストによって結びつけられた者が一同に会し、キリストとの間に成し遂げられた偉大な神秘をともにおこなう場です。キリストにおけるわたしたちのきずなは、その場にいる人だけの広がりにとどまるものではありません。ほかの教会堂に集まっている人々も、教会堂に集うことのできなかった人々も、またすでに栄光を受けている天の教会も、清めの段階を歩んでいる煉獄の教会も、キリストとのきずなのゆえに、みなともにそこにいるのです。ラテラン教会の献堂の祝日には、このつながりを意識しながら、全教会が一つとなってキリストとの深いかかわりの神秘を記念したいと思います。

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澤田豊成神父

聖パウロ修道会司祭。1965年、東京都目黒区生まれ。1996年、司祭叙階。教皇庁立グレゴリアン大学神学科修士課程で聖書神学を専攻、神学修士号取得。現在は編集をとおしての宣教に従事。東京カトリック神学院、聖アントニオ神学院講師。

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