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最初の宣教師たち

香港――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(11)

 (ムンバイ)に別れを告げた「コンテ・ヴェルディ号」は、インド半島に沿って南に向かった。アフリカからインドまで、およそ一千キロの航海をした。もう海に対してそれほど不安はなかった。なぜなら船はインド大陸の左岸に沿って航行し、その右側には時折、人けのない孤島が見え隠れしていたからである。

 私たちはもう、波の音や上下に揺れる船の動きにすっかり慣れていた。よく眠り、よく食べ、新聞を読んだり、甲板で他の宣教師たちと語り合った。大西洋横断船がセイロン島(現在のスリランカ)の首都コロンボの港に着くと、私たちはまた、赤道下の町を見るために上陸した。十一月の末にもかかわらず、気温は高く、太陽は焼けつくようであった。高原と山と豊かな森の景観を持つセイロン(現在のスリランカ共和国)はすばらしく、魅力にあふれる島である。面積は六万五千六百十平方キロで、イタリアのピエモンテとロンバルディア、ヴェネトを合わせたくらいである。住民(約千四百万人、そのうちカトリック信者は百万人)の大部分は、海岸沿いに居住している。首都のコロンボは大きな広場や広い並木の街路、近代的に整備された道路のある美しい都市である。至る所に草木が茂り、特徴のある熱帯植物が繁茂していて、その木陰は人々の快い憩いの場となっている。

 赤道の北緯を進み、さらに二日の航海の後、シンガポールに到着した。こうして私たちはタイから南に延びているマラッカ半島の突端に到着したのである。

 シンガポールはコロンボよりもっと暑かった。赤道にとても近く、白い半ズボンと半袖シャツでいても、昼も夜も汗びっしょりになった。涼をとる唯一の方法はプールでの水浴びだった。シンガポールはローマから東京へ向かう一カ月の旅行の中で、一番南にある。したがってシンガポールから中国に向かうと暑さは和らぎ、再び心地よく服を着ることができるようになった。この日、一九三四年の十二月。日本ではイタリアと同じく、真冬の寒さの中にあった。

 シンガポールでの碇泊は長くはなかった。大西洋横断客船は積み荷を降ろし、燃料を補給してベトナムとフィリピンの間の南シナ海に入り、北上を続けた。

 私たちはエジプト、インドをはじめ、碇泊した国々においては外国人であったが、南シナ海を航行しながら、自分たちは本当に「オリエンタル(東洋の)」の世界に入ったのだということを実感した。私にはイタリアという考え、ヨーロッパという感覚が心の中で次第に薄らいでいくように思えた。日常会話として使っているイタリア語さえも、何か場違いのように思われた。「西洋世界の顔」は次第に色あせていき、地球の極東で生活する褐色の肌をした何億人もの人が住む国々が、驚異に満ちたその姿を、初めて私たちの目の前に現わしつつあった。地球の人工の四分の一を占める人々がまさに今この瞬間、私たちと同じ時間を共有して生活している。この壮大な事実に、私たちは我を忘れた。しかしこの時、中国が世界を震撼させたあの文化的、政治的な大革命(共産主義国家「中華人民共和国」の樹立)の準備をしていたとは知る由もなかった。

 南中国の香港に寄港した。香港はビクトリアとも呼ばれる同名の市を含んでいる。島の面積は、ほぼ一キロ平方メートルであるが、人口は優に五百万人を超えている。仮に住民が一斉に家から外出したなら、国全体が人であふれてしまうだろう。政治的には一九九〇年まで長らくイギリスの植民地だったが、生活様式は英国式ではなく大陸風であり、中国の様式で生活している。イギリス人は百年以上前から香港で商売をし、産業を興し、中国人に感謝されている。しかし中国人はどんなときでも「中国人」であり、彼らがヨーロッパ人になることは決してなく、ましてやイギリス人になることは絶対にない。

 マルチェリーノ神父は私たちを香港のサレジオ修道会に連れていった。私たちは親切に迎えられ、しばらくの間、休息をとった。一人のサレジオ会宣教師が大都市の見物に案内してくれた。私たちは記念碑、広場、大陸独特の店などを見物して楽しんだ。マルチェリーノ神父は注意深くそれらを観察し、人々の風俗や習慣について尋ね、また中国人の卑屈に見える物言いや態度を批判したりした。

 サレジオ修道会の修道院に戻ると、神父さんたちが歓迎の芝居を準備していた。真面目で礼儀正しい寄宿生の中国人青年たちが芝居に出演し、言葉のまったく分からない私たちを大いに笑い転げさせた。誰よりもこの芝居を楽しんだのは、マルチェリーノ神父だった。彼はこの時、自分の中にずっと眠っていた「永遠の子ども」の存在を発見したのである。香港から数百キロ先に上川島がある。この島は、日本に初めてキリスト教を伝えた日本宣教の使徒、聖フランシスコ・ザビエルが四十五歳で(一五五二年)亡くなった場所である。かの偉大な国に向かう私たち新米の宣教師たちは、この聖人のことを思い、その取り次ぎを求めて熱心な祈りをささげた。

ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

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