アルベリオーネ神父は貧しい生活に甘んじた。自分の小さな部屋には簡素な家具があり、ぜいたくと思われるものは何もなかった。夕食後は小さなテレビでニュース、とくに教皇の出てくる番組をよく見ていた。時々、創立者は「私はもう何もいらない」と地上のものへの愛着心を一切断ち、清々した調子で言っていた。
そしてどんな小さな奉仕にも心をこめて感謝していた。晩年に看護のつきそい人が、創立者の寝室で夜間音がするので行ってみると、創立者は、それがありがたがり、「別に何でもないから、休みに行きなさい」と言うのであった。人に迷惑をかけないように気をくばり、「よく働いたので疲れているでしょう。休みに行きなさい」と言っていた。外国へ出発したり、外国から帰ったりする人が、たびたび創立者を見舞いにやって来たが、創立者はは心よくかれらを迎え、その労をねぎらい感謝と励ましのことばを与えていた。
アルベリオーネ神父は、晩年にもマリアに対するやさしい信心を続けていた。何かの事業を始める時に、必ず聖母マリアの取り次ぎを願ったように、ロザリオを手から離れずに祈っていた。そして、まわりの人にも聖母に向かって祈り、その信仰と謙遜と奉仕の生活にならうようにとすすめていた。そして自分は臨終の時にも「天使祝詞」を祈っていた。寝室の隣に小さな祭壇があったが、創立者はそこでほとんど毎日聖母マリアのミサを立てていた。ミサ中には、静かに祭壇に寄りかかり、頭を深くたれて、しばらく沈黙して祈り、反省していた。
創立者は全人類のことを考え、使徒の女王である聖母マリアの御絵の裏に世界のいろんな宗教の数を書いたり、短い励ましのことばを書いたりした。そして自のすべての著作、記事、手紙、ご絵の裏に書かれた短信の冒頭に「神に栄光、人々に平和」という標語をしるした。誰かが病気をしているのではないか、と心をくばり、その人たちのために祈った。
会員が病気すれば、最良の医者にかからせ、充分な療養施設をつくりあげ、看護のシスターにつきそわせてあげた。アルベリオーネ神父は、古い靴をはき、それがだめにならなければ決してはきかえようとはしなかった。ある司教が、アルベリオーネ神父の靴がよごれているのを見て、「みがきましょうか」と言うと、神父は「私は仕えられるために生活しているのではない。自分の靴は自分でみがきます」と答えたそうである。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。