一九五七年四月四日、聖パウロ修道会の第一回目の総会が開かれた。その時、アルベリオーネ神父は七三歳であった。三三名の総会委員のために黙想指導をした。その時の説教の中で、こう述べている。
「本会は、その精神においても、その使徒業においても、その使徒的特殊目的のために、霊性のために、司祭と修道士との間の一致のために新しいものをたくさんそなえている。信心の実践を変えるだけで、あるいは多少の手加減を加えることで、ほかの者のまねをしていない。本会は幅広い手段を豊かにそなえている。その使徒職は普遍的である。本会は時代と土地柄に順応しやすい。司祭たちに講話と著述で宣教し、秘跡によって聖化する任務がある。
それは『私があなた方に命じたことを実行するように教えよ』との聖師イエスのことばによってもわかることである。修道士だけでは労働者であってもパウロ会員ではない。司祭だけでは、パウロ会員ではない。司祭と修道士が、いっしょになって同じ使徒職に結ばれる時に、両方ともパウロ会員になる。
司祭は著述し、修道士は技術を使って 著述物を倍増し、普及によってそれを広める。一層迅速な、いっそう効果ある現代的手段の使用が、本会の使徒職では特に光っている。司祭の編集は、司祭と共に働く修道士に使徒職の重要性と功徳とを授ける。また修道士の技術と普及は著述家である司祭にパウロ会員としての使徒職の特性を与える。本会は次のように十分に言い表される。すなわちナザレの家を手本にし、教会法に統御された修道家族である。
養成においては、到達目標を設定し、心に刻みつけやすいように、それを説明すべきである。旅行する者は、まずどこに行きたいかを決めなければならない。さて四終は生活の旅においてこの役に立つ。つまり、死、私審判、天国、地獄、世の終りの復活、公審判、永遠は、これに役立つ。これらをしばしば、すぐにでも実行できる方法で説教しなさい。というのも、これらは心理的にも好ましい効果をもっているからである。」
総会では黙想のあと、総会長の選挙にはいったが、アルベリオーネ神父が文句なく過半数で正式に選ばれた。神父は選挙の票決を承諾するのにとまどった様子であったが、こう所見を述べた。「私が問題にしているのは年齢とすべての欠点は別にしても、今まで、わたしたちは常に家族的にやってきたことである。家族という考え方は、本会においても決してなくされないものである。だが教会法の導きにもっと沿っていれば、家族的やり方で困難を乗り越えるであろう。それゆえ、私は一方では非常に心配であるが、他方では教会法によってすべてを整える統治が必要となろう。」
そしてこの第一回総会に参加した会員たちは、総会長アルベリオーネ神父とともに、教皇謁見をゆるされ、ピオ十二世教皇に謁見したのであった。
なお、この年の六月二日に、アルベリオーネ神父は、イタリア大統領のグロンキ氏から第一級の文化功労賞をいただいている。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。